ジャコメッティ展を観た感想ー見えるものを見えるままにー

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芸術は難しい。

 

はじめに

 

先週の日曜日、『ジャコメッティ展』に行ってきた。

乃木坂にある国立新美術館で2017年9月4日まで開催されており、ジャコメッティの作品を130点ほど堪能することができる。

 

今日はその感想。

参照:ジャコメッティ展公式HP

http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/

 

 

小さい

 

「なんだこれ、おまけのボトルキャップじゃん。」

それが私の第一印象であった。

 

小さいのである。

ブロンズの台座に、親指の先ほどの高さしかない「ヒト」が置かれていた。

あまりにも小さく、あまりにも細く、遠目からではただの「小さな棒」にしか見えなかった。

 

ジャコメッティは、「対象物」を「空間ごと」作品に残そうとした。

人間の「緊張」であったり「空気」をそれごと作品の中に閉じ込めようとしたのだ。

そのためにジャコメッティは、対象物と距離を取った

そして、対象物そのものの「全体像」を捉えることができたのだ。

よって、彼の初期の作品は小さいものが多いのだという。

 

 

細い

 

ジャコメッティの作品は細い。

「人間」も、「犬や猫」も、すべてが細い。

彼の作品最大の特徴であり、同時に新しい表現であった。

 

なぜ彼の作品は細長いのだろう。

それには2つの理由がある。

 

「もう小さい作品造るの嫌だな、そうだ、高さを最初から決めちゃえ。」

初めから彫刻の高さを設定し、それに合わせて作品を作るようになった。

 

「見たものを見たままに」

それをジャコメッティは生涯追い求めていた。

「見たもの」というのは、対象物が発する空気であったり、「本質」だ。

それを表現するため、無駄なものをそぎ落としていった。

 

彼にとっては服装も装飾品も、対象物の本質を表現するためには必要のないものだったのだろう。

その結果として、細長い作品が多くなった。

 

 

頭部

 

ジャコメッティの作品を鑑賞していると、人体のある一点が気になった。

頭部である。

 

彼の作品では、頭部が強調されているものが多い気がした。

時には表情が捉えられなかったり、時には頭部全体が黒く塗りつぶされていた。

 

ジャコメッティにとって、「頭部」は他とは違う大切なパーツだったのだろう。

実際に頭部をテーマにした作品も多かった。

しかしながら、それは決して写実的な意味ではない。

見えたものをそのままに、対象物の本質を追い求めた結果なのだろう。

 

 

女性

 

ジャコメッティの作品の中で、私には1ミリたりとも理解できないものがいくつかあった。

その1つが「女=スプーン」である。

確かに題名を聞けばそう見えないこともないのだが、よくわからなかった。

「彼には世界がどのように見えているのだろうか。」

そううらやましくもなった。

 

ジャコメッティの作品を見ていると、「女性」の表現が面白いなと思った。

「なめらかな曲線」であったり、「ふくよかさ」というのがあまり強調されていないのだ。

 

また、女性の「エロス」を感じる作品も少なかったように思う。

これも「見えるものを見えるままに」なのだろうか。

 

 

あとがき

 

私は芸術、とりわけ絵画にはそれほど興味がない。

 

「興味を持てないものに触れると、思いもよらない発見があるかも」

これは私の哲学であるが、それもあってこの展覧会に足を運んだ。

そんな私でも、それなりに楽しむことができた。

 

ただやはり、展覧会を楽しむためには時代背景であったり、美術史の知識がそれなりに必要なのだろう。

 

「知らない世界を、少しずつでも知っていこう。」

そう思えるジャコメッティ展であった。

 

 

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